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間もなく誕生する夢の無人島、キミオ・オローラ島。
その名前の由来についてご説明いたしましょう。
キミオとは、ブルラグーンダイブショップの創設者、故・MR.キミオ・アイセク氏のファーストネームです。彼は日本時代に日本海軍港務部で働きました。その経験を活かし、後のアメリカ時代になって、ネィビーで働きます。その時にアメリカ海軍の下で、トラック環礁内に沈んでいる日本の沈船の調査を行います。その経験と知識を下にして、トラック島で最初のダイビングショップ『ブルーラグーンダイブショップ』を創設しました。以後、40年間、アメリカ・ヨーロッパを始めとして、世界中にトラックの沈船ダイビングを紹介して行きました。今では、世界のダイビングショップの中でも常にトップ10に名を連ねる程です。晩年、彼は、トラックコンチネンタルを買収し、そのオーナーにもなりました。そして、2001年の1月、その輝かしい生涯を遂げたのです。
彼の功績をたたえ、ブルーラグーンダイブショップは、彼の持ち島であった無人島に、彼のファーストネームを冠する事にしたのです。

そしてもう1つの名前、オローラとは、宝貝の中の『南洋宝貝』の別称です。
南洋宝貝は、英語名を『ゴールデンカウリー』と言います。
カウリーとは、英語で宝貝の事です。金の宝貝、と言うわけです。
その名の通り、金色に輝く見事な宝貝です。
太平洋の赤道周辺にみに生息する世界でも非常に珍しい、とても美しい、宝貝です。
かつて、南太平洋域の人々の間では、酋長がもつべき貝としてとても重宝されていました。
そして現在でも、貝収集家の間では、大変高価な値段で取引されています。

キミオ・オローラ島は、チュークでは最も権威ある2つの名前を頂いた、高貴な島なのです。
こんな素敵な名前のキミオ・オローラ島、夢の無人島を独り占めできるなんて、正に夢のようですね。
チュークにいらしたら是非、キミオ・オローラ島にお立ち寄りください。
心が洗われますよ!

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ジープ島と並ぶ、チュークの夢の無人島、キミオ・オローラ島が、間もなく新装オープン致します。
何れも、現地ブルーラグーンダイブショップの経営です。
従来のオローラ島が、名前も、キミオ・オローラ島と変え、2月13日のプレオープンに向け、
今急ピッチで化粧直しをしています。
キミオ・オローラ島の名前の由来は、ブルーラグーンダイブショップの元オーナーで、ブルーラグーンリゾートホテルのオーナーでもあった、故、Mr.キミオ・アイセク氏のファーストネームと、ゴールデンカウリー(日本名・南洋宝)と呼ばれるとても希少で高価な宝貝の別称です。
ミスター・キミオの功績と珍しく美しい宝貝の名を冠した、キミオ・オローラ島。
2人部屋が4部屋のコテージ、海を臨むバルコニー、伝統的な造りの休憩ハット、清潔なシャワー室とお手洗い、キッチン、夢に見た安らぎのプライベートアイランドの完成です。

3月1日以降の宿泊のご予約を受け付けています。
※ 写真はチョット前の工事中の写真です。

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先日、グアム・サイパンを除く、全ミクロネシアを対象としたとある高校の入学試験が実施された。
チュークにある『ザビエル高校』の入学試験である。
例年、ミクロネシア各国から800~1000人程が受験し、わずか50人だけが合格できるという、ミクロネシアでは超狭き校門だ。男生徒は全寮制で、女生徒は、モエン島の各家庭にホームステイをして、毎日学校のスクールバスやスクールトラック(?)で通ってくる。
カトリック系のミッションスクールで、今時には珍しい、厳しい校則と寮則で生徒達をビシビシと教育している。戦後間もなく、日本時代の頑丈な建物(通信隊基地跡)を利用してその学校はスタートした。
今、ミクロネシア各地で活躍している人達には、このザビエル高校の出身者が圧倒的に多い。
そんな校風が父兄には頼もしく、人気があり、ミクロネシア中の国々から優秀な生徒達が集まってくる。

実は今回の統一試験に、我が息子(ヒロミ)もクラスメートと共に挑戦した。
長い試験が終わって、感想を聞かれたヒロミは、
『数学は出来た! でも、英語がちょっと気になるのがあった。』と言う答えが返ってきた。
本人はサバサバしたものだが、母親としてはチョット気に掛かる。
4月の発表までの2ヶ月間あまり、これから、ハラハラ・ドキドキの毎日が始まる。

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皆さん、こんにちは!
今日から『poco通信』のスタートです。
『poco・ポコ』とは、トラック語で、サメの事です。
ポコが大好きな私のニックネームです。
第一回目のpoco通信、今日は、貝のお話からです。


皆さんは、『オウム貝』をご存知でしょうか?
『生きた化石』と呼ばれる『オウムガイ』の殻をオウム貝と呼んでいます。
オウムガイは、今から5億年も前の太古の地球の海に繁栄し、今もフィリピンやミクロネシアの深海にひっそりと生息する希少な古代生物です。
いつもは深海に生息し、夜になると浅海に上がってくると言われています。
殻の中にたくさんの隔室を持ち、自ら浮力を調整して深海から浅海を自由に行き来できる特殊な機能・構造を持っています。死んだ殻は、この隔室のお陰で海面に浮き、洋上を漂い、世界各地の海岸でその漂着が確認されています。こうして世界の海を旅したオウムガイの殻は、『生きた化石』として、世界中の貝愛好家や生物学会の貴重な資料、コレクションとして重宝されています。

日本名は『オウム貝』。貝の形が、鳥のオウムのクチバシに似ているところからこの名があります。
英語名は『ノーチラス貝』。ノーチラスとは、海洋を旅する水夫を意味するギリシャ語です。
海面を漂い、世界の海を旅する貝ならではのネーミングですね!
ノーチラスと聞けば、そう、もう皆さんもお気付きの通り、ジューヌ・ベルヌの『海底2万里』に出てくる、モネ艦長の『ノーチラス号』、それに、世界初のアメリカの原子力潜水艦『ノーチラス号』もまた
このノーチラスからとったものなんです。

ところで、私の趣味の1つに貝の収集があります。
長年、チュークの海から集めてきた海の宝物です。
そして、そのコレクションの中に、3個のオウム貝があります。(*^。^*)
1個目は現地人から入手したもので、初めて手にしたオウム貝を見て、とても嬉しかったのを覚えています。2個目は、無人島の砂浜で自分で見つけたものでした。この時は1日中ウキウキしていました。
きっと顔もにやけっぱなしだったでしょうね!
そして最後の3個目は、なんと、洋上で発見したものなのです。
深海から出でて海洋をさまよっていたオウム貝に出会うという非常に珍しい出来事に遭遇したのです!

それはつい最近の出来事でした。
御客様をご案内して、無人島めぐりのボートの上でした。
疾走するボートの上から、次々と変わってゆく海面を何気なく眺めていた私の視野に、『おやっ?』と思われる漂流物の影が飛び込んで来ました。ボートがその漂流物から過ぎ去った瞬間、残像を見つめる私の頭の中には、『ノーチラスだ!』と言う言葉が何度も何度も飛び交っていました。
いつも貝殻に興味を持ち、とりわけオウム貝には格別な想いを抱いていた私だからこその発見だったのかもしれません。すぐさまボートを元来た方向に取って返し、この稀有の出会いの主と手をあわせる事が出来たのでした。
5億年という気の遠くなるような太古の地球で繁栄し、今又、深海から出て大海をさまよい私と邂逅した。新年の夢と希望を頭に描きながら海を見つめていた私への深海からの贈り物だ。
また1つ、海の宝物が増えた。

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ブログを開設しました。
私達は、ミクロネシアのチューク(トラック)諸島に住んでいます。
男の子3人と妻と私(pocosuenaga)の5人家族です。
チューク諸島の主島・モエン島で長らく観光業を営んでおります。
これからは、南の島での生活振りや、島の人達の様子、南の島の話題について
幅広くご案内していきたいと思っています。

これからもどうぞご気軽に、『南の島のブログ。。。』に遊びに来てください。

南の島の熱い風をお送りします!! (*^_^*)

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