1914年、ミクロネシアが日本領土となった時、ここトラック島にはいち早く防備隊本部が於かれ、
30年間の日本統治時代を通じて、太平洋における日本の防衛前線基地として大きな役割を果たしていた。
太平洋戦争を前に、早くもトラック島には様々な民間施設や軍関連の施設も整備され、一大戦略基地としての様相を呈していた。
そんな数多い戦跡や遺構が残る中で、ユニークな物もまた数多く残っている。
1枚目の写真・海の中に建っているコンクリート造りの小さな2階建ての建物も、そんな1つである。
『検潮所』と言って、潮の干満を検査・調査する設備だ。
周囲を波から完全に遮断したこの建物の中に、潮の干満を測る機械が備えてある。
現在の日本で、日本全土の海抜標高は、東京湾の平均海水面を基準に計測されている。
日本統治時代、ミクロネシア全土の海抜標高は、このトラック軍港の平均海水面が基準点となっていた。
現在、アメリカで発行されているチューク諸島の海図(チャート)を見ると、地図の下部に、
『1944年の日本海軍の値を元に作成』という英語の案内がある。
その値は、戦後65年を経た今でも生きているのである。
他の4枚の写真は、海軍水路部によって作られた当時の測量点だ。
立派な大理石製で、今もトラック諸島のあちこちに見受けられる。
礎石には、昭和12年、海軍測點と言う文字が、たった今、彫ったかのように見事に躍っている。
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