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チューク諸島にはもともと野菜が存在しなかった。
外国人が入植し始めた100年ほど前から少しづつ野菜が入ってきたが、それとて、外国人の食べるものでしかなかった。
野菜が大量にこの地域に入ってきたのは日本時代になってからである。
日本人が多く住むようになると、日本から“南洋開拓団”が組織され、島々の農園開拓がはじまった。
ほとんどが、軍隊はじめ日本人に供給するための野菜や果物であった。

そんな日本時代の影響で、野菜に関連する言葉はほとんどが日本語だ。
野菜は『ヤサイ』だし、『ナッパ』『キューリ』『ナス』『マメ』『マクワウリ』『ホウレンソウ』など、ほとんどが日本語から来たものだ。
最近になって、外国からの野菜を少しずつ食べるようにはなってきたが、それでもごく一部の人たちだけである。一般的にはまだまだほとんどの人達が野菜を食べていない。
もともと植物が主食のこの人たちには、野菜はさほど必要な食べ物でもなかったにちがいない。

そんな中で、唯一、昔から好んで食べられているチューク独特の野菜がある。
南洋ホウレンソウと呼ばれるもので、水草の一種だ。
チュークの人達はこの水草の新芽のやわらかい部分を摘んで、主にスープに入れて食べる。
摘んでも摘んでもすぐに新芽が伸びてくるので、彼らの貴重な生鮮食料品となっている。
私も時々、おしたしや炒めものにして食べているが、柔らかい舌触りの割に、シャキシャキ感があり、
草の持ついやな匂いも全く無く、結構イケル。

ちなみにこの水草の事をチュークでは『ホーレンソウ』とか『セリ』と呼んでいる。
日本時代の名残だ。
そしてこの南洋ホウレンソウは、戦時中の食糧不足の折、日本人の貴重な野菜ともなった。
この南洋ホウレンソウを食べる度に、そんな時代の同胞たちに思いを馳せている。