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チュークの主島・モエン島東端の丘の上に、ザビエル・ハイスクールと言う学校がある。
終戦から7年目、当時の日本軍通信隊基地の強固な建物をそっくり利用してその学校はスタートした。
キリスト教・イエズス会系の高校で、ミクロネシア全域から優秀な子供達がこの高校を目指し集まってくる。毎年1200~1300人程が受験をして、合格できるのは僅か45名だけという超狭き門である。

この学校の名前を現地の人達は『マブチスクール』と、親しみを込めて呼んでいる。
『マブチ』とは、当時の建設会社『馬淵組(現・馬渕建設)』の事である。
日本時代、幾つかの日本の建設会社が、このトラック島に進出し軍や民間の建築物に携わっていた。
馬淵組もその一つで、当時のトラック島の中心地だったデュブロン島(夏島)に本拠を置き、多くの建築を手がけた。現在のザビエル高校のメーンの校舎は、その時の馬渕組が建てた建築物だったのである。

馬渕建設は横浜にその本社があり、2009年には創業100年目を迎える。
そしてこの100年祭のイベントにザビエル高校を紹介する事となった。
早速、社内に調査チームが編成され、この11月18日~22日現地視察が実現した。
メンバーは、副社長、常務取締役、社史編纂室長、の3名。社内の重臣の方達である。

ホテルから15キロの道のり、デコボコの道路をバスは走る。やがて本道からはずれ山道に差し掛かると、これまでにも増してのガタガタ路をバスはあえぎながら登り、丘の上にあるザビエル高校のキャンパスに到着した。バスを降りると、眼下にはトラック環礁の青い海と緑の島々が一望に見渡せる。絶景だ。
そして丘の中央には、鉄筋コンクリートの強固な建物が目の前に立ちはだかっている。自社の先輩達が命を賭して建てた建物だ。大戦の戦火にも耐え、60年の歳月を生き抜いてきた。
奇しくも、訪問団3人とほぼ同じ年齢である。
戦争の為に建てられたこの建物は今、平和と未来の象徴である子供達によって見事に命を与えられ、
これまでに幾多の人材を育み、ミクロネシアの教育と平和の為に多大な貢献をしている。

今も変わらぬ赤い大きな鉄の扉が、3人を招くように大きく開かれている。
薄暗いホールの中に入って行くと、生徒達の心のこもった歓迎が待っていた。
自分達と同じ会社の中で、自分達と同じ歳月を生き抜いてきたこの建物の中で、
そしてこの建物に育てられた子供達の、懸命のもてなしを受けている今・・・。
彼ら3名の胸中は如何ばかりであっただろうか・・・。
きっと長い人生の中で、これまでにも増して馬渕マンとしての誇りを感じていたに違いない。

そんな思いの中、生徒達に建物の案内を受け、学校長との会見に臨んだ。
今回の訪問には、もう一つの目的があった。
100年祭を迎えるにあたり、馬渕建設としてザビエル高校に何らかの援助をしたい、と言うものだ。
その申し入れを、学校側に正式に通達し、現場視察を綿密に行なった。
マブチの丘に南洋桜が咲き誇る来春、子供達への大きなプレゼントが待っている。
こうしてザビエル高校は今正に、真の『マブチスクール』となったのである。