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60数年前の太平洋戦争。
トラック島で何度も生死の境を彷徨い、奇跡的に日本に生還したある陸軍の若い兵士がいた。
当時、現地の若者達と助け合い、食糧を分け合って、厳しい戦争を生き抜いた。
28年前にトラック島を訪れ、その現地の友人達と再会し、今度は生きてる喜びを分かち合った。
トラックを訪問した数年後、その兵士は他界した。
そして、その兵士が残した写真を形見に携えて、今度はその息子夫婦がトラック島を訪ねた。
写真には父が生死を共にした現地の友人達が一緒に写っていた。
『冬島に行きたいのですが・・・。』空港でこのご夫婦をお迎えした時、そう言われた。
父が戦争中、冬島に居たのだと言う。
28年前、兵士が撮った写真には初老の現地人が写っていた。
トラック島の常識で考えて、とても生きている年代ではなかった。
トラックに着いた2日後、ボートで冬島に向った。
その現地人がいると思われる村の桟橋に上陸し、近くの民家で写真の彼らを待った。
写真には大人5名と子供が2人写っている。28年前だ。
待っている民家の人達が、この人は死んだ、この人はサイパン行ってしまった、この人は今、他の島にいる。などと話し合っている。父と生死を共にした人はもうこの世には居ないのかもしれない。
そんな気持ちが支配し始めた頃、いきなり1人の老人が現れた。
『あなたは、Iさんを知っているのか』と言う問いに、『知っています』と日本語で答えてきた。
ご夫婦の顔に安堵の表情と笑顔が広がる。双方の間で暫く日本語の会話が弾む。
『私は、Iさんと一緒に仕事をしてました。』
『戦争が終わって、Iさんが冬島を離れて行った時のことも覚えています。』
79歳のとても元気な老人であった。
日本人に付けてもらったと言う彼の名は、『サムライ』と言う。