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太平洋戦争が終わるまでの30年間、チューク地方(トラック諸島)は日本の植民地として栄え、多くの民間人が住み、海軍や陸軍の大きな基地が設けられていた。そんな日本時代の戦跡や遺構が今でも各地に沢山残っている。そしてそんな戦跡や遺構の中には今も現地の人たちの為に有効に使用されているものも少なくない。
ザビエル高校の校舎として利用されているモエン島(春島)通信隊基地の堅個な建物。直爆弾を受けてもビクともしなかった頑丈な建物が今も学校のメーンの施設として使用されている。
現在、デュブロン島(夏島)の役場やグランドとなっている当時の公学校の校舎と運動場。公学校とは、当時現地の子供達が通った日本語学校の事である。そして、デュブロン島各地に残る海軍桟橋の数々。
現在使用されているチューク国際空港も、これまた当時の日本時代の飛行場を整備したものなのである。
当時、モエン島には2つの飛行場があった。もう一つの飛行場は、現在のブルーラグーンリゾートのキャンパスとその周辺である。ここには水上基地と言って、水上飛行機の基地も設けられていた。
その飛行機を上げ下ろししていた水上エプロンが今のホテルの桟橋である。
戦争は、この島の人達に多大な犠牲を強いた。そしてその一方で、戦争から60年経った今も罪滅ぼしをするかのように現地の人たちの為に貢献している遺構がある。