2013年09月

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チューク本島・モエン島のとある高校でチョットした催しが行われている。

島人達がいつも暮らしている日常の生活風景。
そんな島の伝統文化をきちんと見つめ、確認し、後輩たちに伝えて行こうというものだ。

競走形式で行われるゲームの種目には、
椰子の皮むき、ココナツミルク作り、花輪作り、椰子の葉のバスケット作り、
パンの実の皮むき、など、通常の島人達、自分たちの日常生活そのものが取り上げられている。

誰でも出来る仕事ではあるが、やはり得手不得手もあり、手際の良い仕事ぶりには拍手喝采で、本人達もヒーロー気分だ。

お祭り気分でワイワイ騒ぎながら見ている生徒たちも、今更ながらに自分達の仕事の重要性を再認識、と言ったところだ。

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日本が世界に誇る超ド級軍艦、戦艦武蔵・戦艦大和。

この僚艦が、並んで映っている貴重な写真がある。
バックにはトラック諸島・春島。

昭和17年8月~19年2月まで、トラック島には日本の連合艦隊司令部が置かれ、連合艦隊の艦船が結集した。
その時に、戦艦長門の艦橋から撮影されたものが、現在、武蔵・大和が並んで映っている唯一の写真だ。

その写真に興味を抱き、トラック島訪ねて来た青年がいる。
長崎市出身の高尾さん32歳。

祖父の死後15年経って初めて、地獄のフィリピン戦線から奇跡的に生還した祖父の戦記を目の当たりにした。
それを機に、やがて戦争への興味を抱くようになる。

なかんずく、長崎生まれの彼の心を大きく揺さぶったのが、戦艦武蔵・建造秘話だった。
呉で生まれた戦艦大和に対し、姉妹艦である戦艦武蔵は、長崎で生まれた。
我が街から生まれた超ド級戦艦に興味を抱かないわけがない。
武蔵への想いは果てるともなく、やがて恋心にも似たものとなっていった。

そんな時、大和と仲良く並んでいる武蔵の写真を目にした。
トラック島だった。
トラックの海に武蔵と大和を浮かべてみたい・・・。
いつしかそんな夢が心の中に生れ育まれて行った。

祖父の戦記を目にしてからは、大東亜戦争を身近にとらえ、様々な戦記に目を通し、自分の目を通して戦地を訪ね歩いた。
機は熟した。
大和と武蔵をトラックの錨地に浮かべよう!!

忙しい仕事の合間を縫って、プラモデルを作成し、トラックを訪ねた。
憧れのトラック島だ。

艦隊司令部を初め、当時の戦跡や遺構を訪ねた。
戦艦武蔵が使っていた係留ブイがあった。
艦隊錨地に向かい、大和・武蔵が停泊していた場所を教えてもらう。
現地ガイドの協力で、当時と同じ場所に大和と武蔵を浮かべた。

バックには写真と同じ春島の山並みが見える。
夢にまで見た光景だ!!

トラック島艦隊錨地によみがえる、戦艦大和、戦艦武蔵・・・。
何度も何度も、、、夢中でシャッターを押す。

カメラがとらえた無数の写真にも増して、
心に残る1枚の光景が、無限の熱い記憶として脳裏に焼き付いている。

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