2010年04月

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周囲200キロのチューク(トラック)環礁には80個ほどの無人島がある。

南の島の無人島・・・と言えば、
椰子の木と白い砂浜、青い海にぽっかり浮かぶ小さなかわいい島を連想するだろう。
ところが実際には、大きさも様々でそれぞれに個性を持った無人島がたくさん存在する。
周囲数キロにわたる大きな無人島もあれば、中に入れば迷ってしまうほどの深いジャングルを有する無人島もある。

そんな無人島の中で、ひときわ異彩を放つ無人島がある。
島の中央部まで奥深く広がる海水の入り江に紫檀(シタン)の樹の群生が広がる。
これだけでも大変な価値であり見物なのだが、なんとそれらの紫檀の樹々には、
野生蘭(ラン)がびっしりと付着している。
水辺に広がる、昼なお薄暗い紫檀の森。
その中に無限に広がる野生蘭の光景は圧巻だ。

先週、久しぶりにこの島を訪れ、蘭を少しばかり採集してきた。
さっそく家の庭に蘭のコーナーを設け、毎日悦に入っている。

これからの手入れも大変だが、またひとつ楽しみが増えた。

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今年もアボガドの季節がやってきた。

変化の少ない南の島だが、さまざまな季節の変化を感じることがある。
そのもっとも顕著なものが南国のフルーツだ。
微妙な季節の変化を確実に感じ取り、毎年、決まった時に花を咲かせ実をつける。

アボガドもそのひとつである。
”森のチーズ”とも形容されるこの特異な果物は今、チュークで最盛期を迎えている。
先週の初め、市場でその懐かしい姿を見つけ、さっそく買い込んできた。
熟れて食べごろになったものから順番に冷蔵庫に入れて保存する。

近くのアボガドの木からも新鮮なものを分けてもらい、この一週間は、
毎・朝夕、アボガド三昧だ。
チュークのアボガドはとても大きくて肉厚も厚く、
1人で1個食べれば朝食はもうこれでOK!!というほどである。

マンゴーと同じ時期に姿を見せるアボガドだが、その時期はマンゴーよりも短い。
今のうちに1年分を食べておこうと、市場を通るたび、アボガドの木を見るたびに
目はアボガドを追いかけている。

まだまだ1カ月ほどは楽しめそうだ。

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今、友人と2人でトラック諸島の戦時資料を個人的に調査している。

そんなある日、以前から気になっていた場所を訪ねた。
台湾銀行だ。
台湾と言っても、日本時代は台湾も日本の統治地だった。
という事で、当時、海軍の軍事都市であったトラック島・夏島にはこのような銀行や郵便局、などの金融機関も数多く存在した。

さて、その台湾銀行である。
幸運にも戦火を免れ、全くの無傷で残った建物は、今は住まいとして使用されている。
その裏手には大きな金庫室が、コンクリートの地肌をむき出しにそのまま残っている。

『スエナガ、家のキンコを見てくれないか』
ある日、その家のオヤジが私を訪ねて来たことがある。

それ以来ずっと気になっていたが、いつもお客様をご案内ていたので、なかなかチャンスがなかった。
今回は正にこのような調査だったので、すぐに予定に組み込んだ。

建物は何もかもが当時のままで、そこに、20人ほどの現地人家族が住んでいる。
金庫室は、今では倉庫として使われていた。一切、雨漏りもしていない完璧な状態だ。

入ったところに中サイズの金庫が扉を開いた状態で座っている。
中はすでに空っぽである。
そしてその奥、壁いっぱいに大きな金庫がデンと鎮座していた。
話を聞くと、終戦時から一度も開けていないという。
鍵が無いから開けれない、と言う事だ。
鍵を壊して開けれそうなものだが、幸いそうはしなかったようだ。

古びた大きな金庫は、65年前そのままに、何かを抱いたまま扉を閉ざしていた。


さあ~今度は、金庫破りの名人を連れて、TV局にでも売り込もうか!! (^_-)-☆

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RQにお応えして、夏島(トラック島)の在りし日の航空写真です。

昨日ご紹介した通り、トラックの夏島(デュブロン島)には、日本海軍の司令部がおかれ、島全体が軍事都市として機能していました。
街には商店やレストランが軒を連ね、島の中は網の目のように道路網が発達していました。
街の中心部には、タクシー会社、バス会社、酒屋、映画館、呉服屋、お菓子屋、写真屋、など専門店や、判子屋、新聞店、本屋などもありました。

ある現地老人が私に話した言葉があります。
『日本の時は、雨が降っても平気だったよ。お店がずーっと並んでいたからね。』

そんな街の様子も今は見る影もなく、ジャングルの中にひっそりと眠っています。

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太平洋戦争当時、トラック島には、日本の連合艦隊司令部が置かれていた。

昭和16年12月、ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに、対・アメリカとの太平洋戦争が始まった。
そして、翌17年8月には、広島にあった連合艦隊司令部を、ここトラック島・夏島に移したのである。
周囲200キロのトラック環礁には、軍艦・輸送船団等、100隻以上が結集し、司令長官の山本五十六は、戦艦大和と共に夏島に常駐した。

五十六が滞在していた連合艦隊司令部の建物跡が今も夏島の小高い丘の上に、ジャングルに埋もれて静かに眠っている。

建物の横には優雅な日本式庭園も施され、夏島の街並みとトラック軍港が一望に見渡せた。

昨日、久しぶりにその場所を訪ねた。

大きな石門から建物へと続く2つの螺旋階段は、ジャングルに埋もれて歩くことができない。
建物跡にも木々が生い茂り、かつての眺望はジャングルにさえぎられ見ることもできなかった。
そんな中、五十六が時を忘れて浸かったであろうお風呂のタイルが、今も当時のまま、色鮮やかに輝いていた。

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以前、このコーナーで日本製の足踏みミシンを紹介した事がある。

そして今回、とてつもない手動ミシンを発見した!!

主島のモエン島の南にあるデュブロン島(日本名・夏島)。
かつて、日本時代の中心地だったところだ。

友人を案内して、島の中を歩いていた。
とある現地人の家の前を通りかかった時、中年の女性が何やら古めかしいミシンを動かしているのを見かけた。
周りは錆ついていて、とても現役のミシンとは思えない。

ちょっと気になり、
『これって、まだ使えるの??』その女性に聞いてみた。
『使えるよ、今も服を作っているところだよ!』と、その女性。
『これってひょっとして日本製??』
『そう、日本製。』
『いつ頃から使ってるの??』
『ずーーっと前から・・・。』
『ずーーと、前からって、いつ頃から・・・?』
『私のお母さんから・・・、ずーーっと。』

『・・・・・、ねえ、これってひょっとして日本時代の物??』
思い切って一番気になっていたことを聞いてみた。

『そう、日本時代からって、お母さんが言ってた。』

周りはとっくに錆ついていて、角材でモーター部分を囲ってある。
ハンドルを手で廻してみると、まるで新品同様に、スムーズな回転が伝わってきた。
驚きと、喜びで(なぜか無性に嬉しくて)ちょっと興奮状態になっている自分を感じる。

その家を離れてからもずーーっと、この手動ミシンの事が頭から離れなかった。

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『チューク』とは、現地語で『山、または、山の島』を意味する。

チュークの島は火山島で、島の頂には例外なく大きな岩がそびえている。
そしてそんな岩山の一つ一つに、かつて神が降臨し、人々が住むようになったと言う起源伝説が今も伝えられている。
そんなチュークの岩(石)の伝説に魅せられ、島の語り部(イタン)を訪ねて、日本から1人の男性がやってきた。
『遠足コーディネーター』として日本各地を訪ね歩いている、ナオさんこと、月山七緒(ツキヤマ ナオ)自称・三十路のミラクルコーディネーター!!である。

3泊3日(フライトの都合で3泊3日となる)の短い日程であったが、思いっきりチュークの神の世界に遊んだ。
イタン(伝承者)を訪ねる道すがら、島の女の愛のマジックが飛び交い、ナオちゃんの頭を悩ます・・・。

そして仕上げは、チューク人発祥の地とされる『トナチャウ山』のトレッキング。
今も霊山として崇められているトナチャウ山の山頂で、遠い昔の伝説に思いを馳せる、月山イタン・・・。

島の娘の愛のマジックは時空を超えて日本に届いただろうか・・・(*^_^*)

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