2009年10月

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ミクロネシアのチューク諸島。
その中心の島・モエン島最南端の岬に、ヤシ林に囲まれた木造コテージ風の素敵なホテルがある。
その名も、ブルーラグーンリゾート。かつてのコンチネンタルホテルだ。

3方を海に囲まれたその敷地には、いつも手入れの行き届いた芝生とヤシ林が広がっている。
この庭を管理するのは、10人ほどの現地人スタッフ。
毎日・毎日、ヤシの木や芝生の手入れ、花壇の手入れにと、広い庭の手入れに余念がない。

部屋数は54室と小さなホテルだが、ロケーションは抜群で、とても落ち着けるホテルだ。
世界中から集まって来るダイバーたちの憩いの場所でもある。

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太平洋戦争末期の昭和19年2月、戦争引揚者を乗せた輸送船・夕映丸(ゆうばえまる)はポナペを出港し、中途、トラック環礁の夏島に入港した。
その輸送船には、ポナペで商店を営んでいた家族・6名の姿があった。
両親と祖母、幼い3人の兄弟達である。清はその幼い3人兄弟の長男だった。
トラック島出港直前のある日、清と父は夏島に上陸した。
夏島の旅館に1泊し、翌日に散髪をするためである。
その日にアメリカ軍の空襲があろうとはもちろん家族には知る由もなかった。

昭和19年2月17日未明、トラック環礁はアメリカ軍による未曽有の大空襲を受けた。
空襲は2日間にわたって行われ、その2日間で爆撃機の数は、なんと延べ1200機にも及んだ。
加えて、軍艦からの艦砲射撃、飛行機からの機銃掃射と、その攻撃は熾烈を極めた。
はたして、停泊中の夕映丸も攻撃に晒され、船内に残してきた家族4人のうち、祖母と次男の弟が即死した。乳飲み子のもう一人の弟は母の胸に抱かれ一命を取り留めた。
母の胸には、腕から貫通した爆弾の破片が突き刺さっていた。
それでもなお、幼い我が子を助けるべく戦火の中を必死に逃げ惑った。

たまたま上陸して難を逃れていた清と父は、近くの山に逃げ込み戦火を免れた。
空襲が終わり、2人は山を下りて近くの防空壕に避難した。
そこで、幼い弟を抱きしめた血みどろの母と再会したのである。
母は応急処置を施され一命を取り留めた。

日本に引き揚げた直後に父は他界した。
凄惨な記憶を胸の奥にとどめたまま、65年の歳月が流れた。
これまで戦争の記憶を必死に払いのけながら生きてきた清の心に少しずつ芽生えてくる感情があった。

このままではいけない。
何とかして、祖母と幼い弟の霊に報わなければ・・・・。
その思いは歳を重ねるごとに強く彼の心を支配していった。
息子の理解と協力で、この10月、ついに鎮魂と軌跡を訪ねるべく旅立った。

ポナペでは幼少のころの思い出を訪ねた。

そしてトラック・・・。

かつて、夕映丸で通って来たトラック環礁をボートは進む。
台風の余波を受けて荒れる海を、ボートに横になりながら突き進んでゆく。
冬島北西の海域でボートがゆっくりと停まった。夕映丸の沈没地点だ。
あいにくの悪天候で水は濁っており、海底に眠る船体を確認することはできない。
だが、正にこの下の海底に祖母と我が可愛い弟が今も眠っているのだ。
揺れるボートの上で、弟に話しかける。
65年間の無念の想いが脳裏をかすめていく。

翌日の午後、ホテルのテラスから夕映丸の沈没した洋上を望み、最後の別れをして空港に向かった。
空港チェックインも無事に済ませ、搭乗手続きをする直前、構内アナウンスが流れてきた。
グアム空港が台風で閉鎖され、飛行機はいつ来るかわからないと言う。

『弟が呼んでいるんだな・・・・。』
ダイヤの乱れを心配する他のお客の姿とは裏腹に、清の顔に自然と笑みが浮かぶ。

ガイドさんに来てもらいまたホテル戻る事になった。
そうして3時間ほど経った頃、『飛行機が間もなく到着する、すぐ飛行場に来るように!』
との連絡で、また飛行場にとって返す。
今度はいよいよお別れですね、と、ガイドさん達とも固い握手をして待合室に入って行った。
台風一過で天気も上々、まずこれ以上ダイヤが乱れることはない。

これでいよいよ弟達ともお別れだな・・・、清の心に幼かった弟の顔が去来する。

待合室で、亡くなった祖母や弟の事を思い浮かべている清の耳に、またしても聞きなれたアナウンスが響いてきた。
何と、今度は『フライトキャンセル』だと言う。
なぜ? さっきまで、すぐに飛行機が到着すると言ったはずだった。
訳がわからなくなった。

フライトキャンセルの報を聞きつけて、またガイドさんが駆けつけてくれた。
飛行機は、トラックだけを飛び越えてグアムに向かったと言う。
長引いた遅延で、飛行機クルーのオーバーワークで、これ以上の仕事はできないと言うのが理由だ。
そのために、時間のかかるトラック到着をやめて、飛行機は直接グアムに向かってしまった。

次のフライトは30時間後の翌日の夜中だ。
広島から来た2人にとって、グアムからの広島便は4日後になってしまう。
同行した息子の関係で、一番早い福岡便を手配してもらった。

そして翌日の出発時間、夜になって今度は猛烈な雨が降り出した。
空港に向かう車の中で、ガイドさんが笑いながら清に話しかける。
『飛行機の到着時にこれだけの雨が降っていたら、飛行機は降りませんよ。
そのままグアムに行ってしまいます!』
その冗談ともつかぬ説明にも清はただ微笑んでいるだけだ。
しかし、まさに飛行機が到着する寸前、雨は小振りになり、ついに迎えの飛行機が着陸した。

夜中のトラック空港。
タラップを一段ずつ上がっていく清の脳裏に弟の叫ぶ声がはっきりと聞こえた。

『兄ちゃん、帰らないで!!』

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南の島の代表的な木にヤシの木がある。
椰子の木は、樹木はもとより、実、葉っぱに至るまで、南の島の人たちの生活道具として貴重なものだ。

椰子の葉は、箒(ほうき)としても良くつかわれる。
椰子の葉を1本、そのまま切りそろえて箒にしたもの。
あるいは、葉っぱを1枚・1枚切り取り、その芯をそぎ取って束ねて作った、ヤシの葉の芯の箒。

そして昔から今日まで、椰子の葉の最も重要な用途と言えば、屋根を葺く材料である。
緑のみずみずしい葉っぱを、ゴザのように編みこみ、下から順番に屋根にかぶせていく。
日本で言えば、茅葺き屋根に相当するもので、椰子の葉で葺いた小屋は涼しくて、景観も良く、雨漏りも無い。休憩小屋や集会場など、このモエン本島などでも良く見かける。
そして、チュークの離島に行けば、このような椰子の葉葺きのハウスはまだまだ島人達の大事な住まいともなっている。

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4年前、『雲に乗って、戦艦大和の浮かんでいたトラック環礁に行ってみたい・・・』と、自分の夢を作文に書き、優しい両親の白い雲に乗ってやって来たユウキ君。

当時は小学一年生、7歳だったユウキ君も今はもう小学5年生。
11歳のボディーはさらにパワーアップして、一段と大きな雲に乗り、4たびトラックの海を訪れた。

今年の目標は、いつもの楽しい海遊びに加えて、去年破れたママとの釣り勝負!
そして初めてのダイビングに挑戦!

『ユウキ、やるぞ~~~~~~!!』

初日はイマイチの天候だったので、近くのオローラ島で楽しい無人島ピクニック。
オローラ島のビーチにボートが着いた途端、『ユーキ~~~ !!』と、去年友達になったリンゴが駆け寄ってきた。
『覚えててくれてたんだ!!』
感激のユウキの顔はもうクシャクシャだ!(^O^)/
ママもパパも、リンゴの笑顔にニコニコと答えている。

ママは涼しい木陰で長椅子に寝ころび、さっそく命の洗濯。
パパと僕は、キャプテン・ポコの案内で大好きなスノーケリング。
まずはオローラ島のサンゴとお魚さんたちに、1年ぶりのごあいさつを済ませて、島の周りをのんびりとスノーケリングをする。
夢のような楽しい無人島での時があっという間に過ぎてゆく・・・。

そして2日目、ママとのフィッシングバトルの日がやってきた。
今日はキャプテン・ポコの勧めもあって、復活したプサモエ島に行くことになった。
プサモエ島は5年ほど前に大きな台風で島そのものが消滅し、その後、砂浜もできて緑も少し戻り
かなり復活していると言う。

プサモエ島の近くでイルカの群れに出会った。
ボートに並走し、ボートの前で盛んにジャンプを繰り返す。
透き通った水面に、イルカの滑らかなボディーが光りながら流れていく。

まずはプサモエ島のパスを過ぎてアウトリーフに出る。
ここでボトムフィッシング。
ママとの一騎打ち!
自称・釣り音痴、のパパは相変わらずの撮影係り。
僕が釣ると、すぐにまたママが釣り上げる。
そして最後は、サイズの差でママの優勢勝ちが決定!!
ボトムフィッシングはまたしてもママに軍パイが上がってしまった( ..)φ

釣りの後は、復活・プサモエ島に上陸。
一面の透き通った水の上に、可愛いいきれいなビーチが広がっている。
パパとママは、出来たての木陰に陣取り2人で楽しいランチタイムだ。
僕とキャプテン・ポコは、ボートの上で洋上ランチとしゃれこむ。

ママはひとまず木陰の下で一休み。
パパと僕はプサモエ島の浅場をスノーケリングで一巡りする。
その間にキャプテン・ポコが、ビーチからの釣りの用意をしてくれた。
見ると、もう次々と釣りあげているようだ。

再びママと、ビーチフィッシングの対決だ!

ハマフエダイやハタ、カワハギなどが面白いように釣れてくる。
今度はお互いに1歩も譲らず、勝負は引き分け、となった!!

プサモエ島を後にして、洋上に出てトリヤマを探したが見つからない。
鳥の群れているところをトリヤマと言って、そこには小魚を追ってカツオやマグロが集まっている。
時間も無いので、トリヤマはあきらめて、アウトリーフの環礁沿いにトローリングをする事にした。

さあ、3度目の正直、ママとの3本勝負の最後のステージだ。
僕が、イソマグロの子供を何匹か釣りあげている間に、なんとママはカツオを釣ってしまった。
数では勝っていたが、またしても1発逆転を食らってしまった。
最後は、自分は釣り音痴、と笑っていたパパにもヒットして、全員ゲットでハッピーエンド!

その夜は、釣った魚でキャプテン・ポコたちと一緒に、お魚パーティー。
ここでも、カツオのタタキが幅をきかして、ママの顔はニッコニコ(*^_^*)
でも、僕の釣ったお魚も、から揚げや塩焼き、刺身になって大健闘!!
とっても楽しいお魚パーティーでした(^_-)-☆

さあ、いよいよ3日目、最終日。
ママはホテルでのんびりタイム(^。^)y-.。o○
僕とパパはダイビングボートに乗り込んで、僕は初めてのダイビングに挑戦だ!
椰子の木3本だけの可愛い無人島。
その前のきれいな海で、僕はキャプテン・ポコに簡単なダイビングの講習を受けた。
パパはその間に現地のガイドさんとダイビング。

大きなタンクを背負って、海の中に入ってゆく。
海の底はサンゴと砂地がずっとずっと広がって、その周りにはたくさんの魚が泳いでいる。
初めてのせいで、ちょっと耳抜きがうまくいかなかったが、それでも初めてのダイビングは、
ワクワク・ドキドキちょっと興奮した。

今度はもっとうまくなって、もっともっと長く海の中にいたいと思った。

雲に乗って、戦艦大和の海を見に来たユウキ君。
そこでは、今まで知らなかった本当の海の姿を見たに違いない。

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白い砂浜に大きな緑の傘を広げて立ち並ぶヤシの木。
太陽の熱い日差しをさえぎり、涼しげにそよぐ緑の葉っぱ。
南の島を訪れる人達を優しく迎えてくれる。

そしてこの椰子の葉は、現地の人達にとっては、とっても大切なものだ。

ファッショナブルでとても涼しいヤシの葉の帽子。
教会で、集会で、家の中で、女たちの必需品、ヤシの葉のウチワ。
いつでもどこでも役に立つ、ヤシの葉バスケット、などなど・・・。

椰子の葉は南の島の生活をより豊かにしてくれる。

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