2009年04月

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結婚式、葬式、その他諸々の冠婚葬祭で、必ず共通して見られるものがある。
それはヤシの葉っぱのフェンスだ。
道路の端の敷地いっぱいに、青いヤシの葉で一面にフェンスを作っているのをよく見かける。
こんな時には、その中で必ず何らかの冠婚葬祭が執り行われている。
結婚式かその他の祝い事、あるいは葬式がそれにあたる。

車で島の中を走っているとき、そんな光景を見かけると、いつも車を止めて確かめることにしている。
葬式の場合は、雰囲気ですぐにそれとわかるので、『誰が死んだの?』って聞いて必ず確かめる。
祝い事の場合は、これまた『何があるの?』と行事の内容を確かめる。

テレビやラジオ、新聞等のメディアが発達していない未開の島では、ヤシの葉のフェンスは島内の冠婚葬祭を知らせる大事なサインだ。
私のように長く南の島で暮らしていると、他の外国人以上に現地人との交際がたくさんある。
そんな時、私にとってこのヤシの葉のフェンスは、現地人の冠婚葬祭を知らせる大事なサインとなっている。

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我が家の裏に、ちょっと変わった木がある。
大きな木で、花火のような花が咲き、その花は地面に落ちたものをよく見かけるのだが、なかなか木に咲いているのを見ることはなかった。
そしてこれまでもさして気に留めるでもなく、その名前も知らずに今日までいた。
ところがこの何日か、また花が咲き始め、珍しく木に咲いているものを見かけたので思わず写真に収めた。
丁度その頃、植物に詳しい友人が日本からやってきて、我が家の裏のその木を見るなり、
『おっ、ゴバンノアシだ!』とうれしそうに言っている。
『ゴバンノアシ?』なにそれ?と私が聞くと、
『この木の名前だよ。』と教えてくれた。
この木の実の形が、碁盤の足に似ているところからこの名前がついたと言う。
そういえば、確かにこの木の実はそんな形をしていた。
海岸によく生える木で、無人島の浜辺にはこの碁盤の足の形をした実をよく見かける。

『そうか、それでこの木をゴバンノアシと言うのか・・・』
と私は1人でうなずいた。
実は彼が来る直前に、この花の写真をある日本の友人に送ったばかりで、しかも名前が判らなかったので
『花火花とでもしておきましょうか』と、軽く冗談半分に書いていたのである。

さっそく『ゴバンノアシ』で調べてみると、いろんな事が判った。
まず、この花は夕方から夜にかけて咲き、朝には落ちてしまうと言う。
いつも地面に落ちている花しか見れなかった謎がすぐに解けた。
私が撮った数少ない写真もすべて夕方であった。

そしてこの碁盤の足状の実には毒があるらしく、
太平洋のある地域では、魚を獲るのにこの実の毒を利用すると言う。
毒があるとは知らなかった。

チューク諸島では果たしてどうなのかちょっと調べてみたいと思う。

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チューク州の悪路振りはミクロネシア連邦内でも有名だ。
ひとたび雨が降ると、歩くこともできないほどにぬかるみ、2・3日でも雨がないと砂漠のように埃がもうもうとして、のんびりと街中を歩くこともできない。
この2日間ほどかなりの雨量があり、道はどこも川や池のようになっている。

そこに突然、異様な履物が登場した。
今日の午後、街中を車で走っていると、青い大きなビニール袋のようなものを履いて歩いている若者が
そこら中にいる。小学生から中学生のようなお兄ちゃんまで、得意げに楽しそうに、道路の水の中をじゃぶじゃぶと歩いている。よく見ると、長靴状になった大きなビニール袋で、シューズの上からそのまま履いている。正にチュークの悪路向けのニューファッションだ。

そして、ついにと言うか、やっとと言うか、この悪路にも救いの手が差し伸べられ、この夏から舗装工事が始まる。道路が出来上がるまでの1年半、この悪路のニューファッションは、はたして若者の間に定着するだろうか・・・。

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チューク環礁はかつての日本時代、トラック島と呼ばれ日本有数の軍事基地が置かれていた。
写真に紹介したこの高射砲たちは、当時、春島と呼ばれたモエン島のとある山頂にある。
この山は、竜がくねったような山容を呈しているところから竜王山と名づけられた。
日本時代にはその竜の背に、ふもとの海岸から山頂まで軍用道路が通じていた山である。
終戦から65年経った今、その道路もほとんどがジャングルにのまれ、山頂付近の高原地帯にのみわずかに当時の面影を残すのみである。

先週の土曜日、日本から来た友人を誘って、妻のカオルと3人で山頂を目指した。
蛮刀片手にジャングルの急坂を上ってゆく。
およそ1時間後、視界は一気に開け溶岩台地の高原に出た。
眼下にはトラック環礁が360度のパノラマとなって開けている。
高原とジャングルを歩くことさらに1時間余り、目指す高射砲陣地に到着した。
標高は250~280mの広い高原地帯だ。
かつての日本時代、250人の高射砲陣地部隊が2年間の長きに亘って駐屯していたところである。

山を刳りぬいて造られた2つの砲台には、巨大な大砲が2門、豪の入口から眼下の海を睨んでいる。
山頂に広がる高原地帯には高射砲が5門、当時応戦したままの恰好で、今も空をにらみ続けている。
そして山頂付近の道路のそばには、大砲の基部と取り付け基盤、砲身と砲弾格納箱が、
今しがた荷降ろしを済ませ、あたかも組み立てを待つかのように、高原の草の中に座っていた。

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アメリカのクルーズ客船がやってきた。
今回のコースは、オーストラリアからグアムまでの、メラネシア~ミクロネシアの船旅である。
この客船が入って来る時にはいつもてんやわんやの大騒ぎとなる。
何しろ、日本の客船と違いあれもこれものいろんなツアーが発生するため、
受ける側はてんてこ舞いだ。
今回も、ダイビング、離島めぐり、スノーケリング、戦跡めぐり、バードウオッチング、植物観察、無人島体験、島内観光とあらゆるツアーが行われ、すべての乗客・タッフが、遊びに没頭する。
乗客のほとんどが定年退職者で、世界中から乗り込んでいる。中には、ボートに乗り移るのも困難な程の高齢者も見受けるが、それでもみんなに交じって元気に遊んでいる。

ツアーが終わって本船に帰り、サンデッキのカウンターでのんびりとグラスを傾けたり、葉巻をくゆらせているお客さんの姿を見ていると、自分もいつかこんな旅をしてみたいなあ、と思ったりする。
・・・が、所詮叶わぬ夢である。せめてもの慰めは、このような人たちを案内して、豪華客船でいただくビールの味に感激している自分を見ているときである。

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春分の日の後の満月から数えて最初の日曜日。
???何の事かお分かりだろうか?

クリスマスと並び、キリスト教の最も大きな行事の1つである、復活祭の事である。
ミクロネシアの他の地方と同じく、チューク諸島の人々はほとんどがクリスチャンである。
イースターが近づくと、何かと行事が多くなり、その週末ともなると、学校も役所もストアーも
何もかもが休みになってしまう。
そして日曜日、いつもは、道行く人、行き交う車でごった返す港の市場通りさえも、
ご覧の写真の通りである。
賑やかなのはキリスト教の教会のみ、まるでゴーストタウンそのものだ。

一夜明けた月曜日、市場に行くと、いつもの賑やかな海岸通りがそこにあった。

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今年のチューク諸島は、マンゴーが豊作だ。
ローカル市場やストアーの前、空港など、人の集まる場所には必ずマンゴー売りの女たちがマンゴーを並べて売っている。値段は何と1個25セント! 小粒の安いものは10セントから売っている。
日本円にして、たったの10円~25円である。

去年は今イチの出来具合で、あまり口に入らなかったマンゴーだったが、今年は豊作のおかげで毎日食卓をにぎわしてくれている。
女の子の頬みたいにちょっと赤らんだマンゴーを常温で数日置いておくと、徐々に熟れてきて丁度食べごろの柔らかさになる。それをすかさず冷蔵庫に入れておき、ひんやりと冷えたものを頂く。
天然マンゴーの奥深い甘味が口の中に溶けてゆく・・・。
なんともいえない美味しさだ。

日本の1万円のマンゴーには叶わないかもしれないが、何せこちらは、1個たったの『10~25円』!
値段の比率からすれば、日本の1万円マンゴーの何倍も美味しく感じるのは、私だけではあるまい。
今週も、お客様に出してあげてとても喜んでいただいた。
1人のお客様は、日本に買って帰ったほどである。

マンゴーの季節は6月まで続く。
そして今はまだ4月。
しばらくは美味しいマンゴーが楽しめそうだ。

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