2007年11月

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瀬戸内の岡山地方に、『ままかり』と言う言葉がある。
サッパと言う小魚を酢漬けにした食べ物の愛称だ。
これがとても美味しくて、隣の家にご飯(まま)を借りに行ってでも食べたい、と言う代物だ。
『ままかり』と言う言葉はここから来ている。
実はチュークにも同じ様な料理がある。
瀬戸内のままかりは、イワシに似た魚を使う。
そして、ここチュークでも、瀬戸内のイワシほど大きなものではないが、10cm程の小イワシを使う。
投網で獲ったこの小イワシの、ウロコと頭とハラワタを丹念に取り除き塩をする。
これを、ショウガを入れたライムの絞り汁に漬け込んで出来上がりだ。
彼らの主食であるパンモチやタロイモにもとてもよく合う。彼らの大好物の1つでもある。

私はこれに少し工夫を凝らし、ショウガを入れた甘酢にライムをたらし、香り高い島唐辛子でパンチを効かせた漬け汁に、この小イワシを漬け込む。1日漬け込んだこのイワシの味は絶品で、酒の肴に、ご飯のおかずに申し分ない。正に『ままかり』と言うにふさわしく、温かいご飯を何杯でもお替りしたくなる。そして私は、この肴を勝手に『ままかり』と呼んでいる。
作るのは大変だが、苦労は何倍にも報われる。その美味しさもさることながら、『ままかり』を食べている時の妻・カオルの嬉しそうな顔が私にとっても一番嬉しい。

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今週、チョウチョ(蝶)の収集家をお迎えした。
チュークではとても珍しい事で、とても貴重な体験をさせて頂いた。
この時私は、他のお客様のお世話をしていたため、残念ながらご一緒できなかったが、妻のカオルが、2日間ご案内した。普段はあまり見かけないチョウチョだが、こうして専門家の方とご一緒して見て行くと
以外にも沢山のチョウチョがいることに気付く。
いつもは藪の中の小さなチョウチョの存在しか知らなかった私達も、お客様のお陰で少しは蝶の事を勉強させて頂き、その面白さを認識する事ができた。
妻のカオルは、その面白さに目覚めたらしく、ドライブ毎に、周囲の藪に目を凝らしている。最近は、『私も網が欲しい!!』と盛んに私に訴えている。
お陰で、単調な生活の南の島で、また1つ楽しみが増えた。

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チュークの主島・モエン島東端の丘の上に、ザビエル・ハイスクールと言う学校がある。
終戦から7年目、当時の日本軍通信隊基地の強固な建物をそっくり利用してその学校はスタートした。
キリスト教・イエズス会系の高校で、ミクロネシア全域から優秀な子供達がこの高校を目指し集まってくる。毎年1200~1300人程が受験をして、合格できるのは僅か45名だけという超狭き門である。

この学校の名前を現地の人達は『マブチスクール』と、親しみを込めて呼んでいる。
『マブチ』とは、当時の建設会社『馬淵組(現・馬渕建設)』の事である。
日本時代、幾つかの日本の建設会社が、このトラック島に進出し軍や民間の建築物に携わっていた。
馬淵組もその一つで、当時のトラック島の中心地だったデュブロン島(夏島)に本拠を置き、多くの建築を手がけた。現在のザビエル高校のメーンの校舎は、その時の馬渕組が建てた建築物だったのである。

馬渕建設は横浜にその本社があり、2009年には創業100年目を迎える。
そしてこの100年祭のイベントにザビエル高校を紹介する事となった。
早速、社内に調査チームが編成され、この11月18日~22日現地視察が実現した。
メンバーは、副社長、常務取締役、社史編纂室長、の3名。社内の重臣の方達である。

ホテルから15キロの道のり、デコボコの道路をバスは走る。やがて本道からはずれ山道に差し掛かると、これまでにも増してのガタガタ路をバスはあえぎながら登り、丘の上にあるザビエル高校のキャンパスに到着した。バスを降りると、眼下にはトラック環礁の青い海と緑の島々が一望に見渡せる。絶景だ。
そして丘の中央には、鉄筋コンクリートの強固な建物が目の前に立ちはだかっている。自社の先輩達が命を賭して建てた建物だ。大戦の戦火にも耐え、60年の歳月を生き抜いてきた。
奇しくも、訪問団3人とほぼ同じ年齢である。
戦争の為に建てられたこの建物は今、平和と未来の象徴である子供達によって見事に命を与えられ、
これまでに幾多の人材を育み、ミクロネシアの教育と平和の為に多大な貢献をしている。

今も変わらぬ赤い大きな鉄の扉が、3人を招くように大きく開かれている。
薄暗いホールの中に入って行くと、生徒達の心のこもった歓迎が待っていた。
自分達と同じ会社の中で、自分達と同じ歳月を生き抜いてきたこの建物の中で、
そしてこの建物に育てられた子供達の、懸命のもてなしを受けている今・・・。
彼ら3名の胸中は如何ばかりであっただろうか・・・。
きっと長い人生の中で、これまでにも増して馬渕マンとしての誇りを感じていたに違いない。

そんな思いの中、生徒達に建物の案内を受け、学校長との会見に臨んだ。
今回の訪問には、もう一つの目的があった。
100年祭を迎えるにあたり、馬渕建設としてザビエル高校に何らかの援助をしたい、と言うものだ。
その申し入れを、学校側に正式に通達し、現場視察を綿密に行なった。
マブチの丘に南洋桜が咲き誇る来春、子供達への大きなプレゼントが待っている。
こうしてザビエル高校は今正に、真の『マブチスクール』となったのである。

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朝は少々荒れ気味、でも久し振りのフィッシングツアーで、勇んで海に出た。
貿易風の心地よい風をを全身に浴びて爽やかなクルージング。ところが、アウトリーフが近づいてきた頃
思わぬアクシデントが発生した。荒波に叩かれて修理したばかりのボートが破損してしまった。
ボートの船底に割れ目が生じ、浸水始めたのだ。ボートが走るに比例して船底の割れ目から海水が流入してくる。周囲200キロのトラック環礁。ここでボートが沈んではまず助かる見込みはない。
だんだんと海水がボートの中に満ちて来る。目にもはっきりと、ボートのスピードが落ちてくる。
間近の無人島まではまだかなりの距離がある。それでも必死の排水作業で、何とか浸水を現状維持で食い止め、ツインエンジンはあらん限りのパワーで、ボートを推し進めている。
だんだんと無人島が近づいてきた。無人島周りの浅瀬を回避して砂浜に乗り上げる。
助かった!!何とか洋上での沈没は免れた。
しかし、ここからが問が題だ。本島までは洋上はるか約25キロ。本島に連絡する手段も何もない。たまたま無人島に2人の現地人が居たが、彼らも無線は持っていなかった。何とかして、このボートを再び走れる状態にして、救助を呼ばなければならない。ボートに付いているあらゆる付属品を取り外し、ボートを素っ裸の状態した。
無人島に生えている樹木を切り倒しフロアーデッキの排水口ををふさぎ、ボート内に浸水した海水を必死で汲み出す。身軽になったボートだが、ひっくり返して破損箇所を応急修理しようとしても、海水をたっぷり飲み込んだ30フィートボートは、少人数ではビクともしない。仕方なく船倉の防水処置を徹底的に施し、海に浮かべてみる。船倉の空洞にたっぷりと海水を満たしたボートは、チョット傾くと今にも沈みそうだが何とか浮いている。これなら何とか走っていけそうだ。
一度は外したエンジン2基を付けなおし、無線のある近くに島まで走っていく事にした。
今にも沈みそうなボートの後姿に全てを託し、私とお客様は、無人島で救援のボートを待つ事にした。
しかし、待てど暮らせど迎えのボートの姿は見えない。
待つ事5時間、やっと水平線の彼方にボートの姿を確認する。
夕食のテーブルにはキハダマグロの刺身を並べるはずであった今日のフィッシングは、無人島での優雅な一日に取って代わってしまった。
当然、夕餉の晩餐にはマグロの刺身にも増して、食べど尽きない島流しの話が格好の酒の肴となった。

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昨夜から降り始めた雨は、まるでバケツをひっくり返したような豪雨で、今朝になってもその勢いは止まらず、よくぞこれほどの水の量が天から降ってくるものだと感心してしまう程である。折からの秋の高潮が続く中、山から溢れた出た雨水は、道路や庭先にまで浸水し、島中を水の世界に変えてしまった。
今から5年前、50人以上もの死者を出した未曾有の大豪雨を思い出させる程であった。幸い夕方には雨も小振りになり、今は時々思い出したように降っているだけだ。豪雨の合間、すかさず水溜りで遊ぶ子供達。その傍では、これも元気に大きな牛ガエル達が飛び跳ねていた。明日の朝、島は瑞々しい緑に覆われているに違いない。

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チューク諸島で車が走っているのは、主島のモエン島のみ。
南隣のデュブロン島にもあるにはあるが、極々少数である。
モエン島の島の中を走っている車の9割以上は日本車で、しかもその殆どが中古車である。
毎月、日本からやってくる貨物船の船倉には、日本からの中古車が満載されている。
こちらに送られてくる中古車は、当たりはずれが多くて、ひどい時には、船からから下ろしたとたんにエンジンが掛らなくなる車もある。したがって、故障は日常茶飯事の事で、道路際でボンネットを開けてエンジンを覗き込んでいる光景にしょっちゅう出くわす。
修理工場は大繁盛である。しかし、この修理工場が曲者で、まともに1度で故障が直ったためしが無い。
今、私の車も2台、修理工場に通院中である。1台はライトエースでエアーコンの修理、もう一台はセレナでエンジントラブルだ。イグニッションキーをまわしてもバッテリーはOKなのだがなかなかエンジンが掛らない。もう2ヶ月ほども同じトラブルで修理工場通いをしている。
持って行く度に『スエナガ、OKだ。直ったよ!』と言って渡してくれるのだが、1時間後にはまた同じトラブルで、何度も何度も修理する。修理するのはいいが、その度に多額の修理代も飛んでいく。
ライトエースのエアーコンも同じだ。素人考えでも、単純なトラブルではないかと思えるのだが、それが2ヶ月経っても、何回見ても直らない。その都度に、あそこが悪い、ここが悪い、と言っては、パーツを買っては取り替える。そして、今度は、日本からパーツを取り寄せた。
まずは、エンジントラブルのセレナ。『パーツがあれば1日ですぐ直るよ!』と言っていた御人は、もう1週間近くも音沙汰が無い。
エアーコントラブルのライトエースも明日の朝一番で、日本から届いたパーツを持って行く。
果たして明日直るのだろうか。。。。
南の島では、車に限らず何もかもがこんな調子である。
現地人並に、何も気にしなければなんて事は無いのだが、悲しいかな日本人の性がそれを許さない。
日本人とは厄介な人種である。

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先のブログから2ヶ月以上も空けてしまいました。
楽しみに読んで下さっていた方達に申し訳ない気持ちで一杯です。
また心機一転、頑張って書いていきますのでどうぞ宜しくお願い致します。

さて、先週の土曜日、地元ロータリークラブ主催による、『第2回フィッシングダービー』が賑やかに開催されました。
一番の大物に贈られる大物賞と、総漁獲高NO・1に贈られる賞とがあり、それぞれに1等から7等まで賞金や商品、航空券などがたっぷりと用意されています。
朝7時、22隻のボートがブルラグーンリゾートの桟橋前を一斉にスタートして行きました。
前回に引き続き、今回もまた私も参加しました。私のチームは私を入れて総勢4名のチーム。
当初、のんびりと釣りを楽しもうと思っていた私の気持ちは、ダービーが始まったとたんに消し飛んでしまいました。トリヤマ見つけてはボートを走らせ、1匹でも多く、少しでも大きな魚を釣り上げようとみんな必死のお形相です。トリヤマに入ると面白いようにカツオやマグロがヒットします。目の廻るような慌しい釣りとなりました。現地人クルーの真剣さに煽られて、私も久々に気合の入った釣りが出来また。
そして、トリヤマの移動中に私のロッドにカジキマグロがヒット!!
『よーし、さあ、来い! 1000ドル!!』と、必死にリールを巻きながらファイトしている私の目の前で、ヤツは大きくジャンプしたかと思うと、一瞬のうちにラインをぶっちぎりそのまま洋上を突っ走るように海中に消えていきました。
そして、いよいよ時間も無くなった最後のトリヤマで、こんどは現地クルーにバショウカジキがヒット。そしてこのバショウカジキで、見事、大物賞を獲得。賞金1000ドルをゲットしました!!
翌日、賞金は4人で山分けです!!
前回の2位・600ドルに引き続き今年も賞金獲得でした。
『来年も一緒に出よう!』と早くも固い約束を交わした1日でした。

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