2007年01月

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チュークの街を歩いていると色々な物売りのおばさん達に出会う。
マンゴウをカゴに入れて売り歩くオバサン。
皮を剥いて飲みやすくした椰子の実を売り歩くオバサン。
独自の刺繍を施した、自作のローカルのスカートを売り歩くオバサン。
手作りの民芸品を売り歩くオバサン。
いつもタピオカ羊羹を作って、店の前で売り歩いているオバサン。
そして、写真のオバサン2人は、これまた自作の箒(ほうき)を売り歩いているオバサン達だ。
彼女達はウドット島(月曜島)と言う遠くの島からやっ来て、いつもモエン島の街を歩きながら箒を売っている。椰子の葉っぱの芯で作った硬めのほうき。椰子殻の繊維から作った柔らかい箒。
何れも椰子から作った現地ならではの箒(ほうき)だ。
熱い南国の日差しの中で一日中歩きながら頑張っているこのオバサン達。
このオバサン達はいずれも一家の家計を支える大黒柱だ。
そしてこのオバサン達は、まぎれも無くチュークの文化の担い手なのである。
ガンバレ、ガンバレ、オバサン達!!

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チューク地方の食生活は、今も伝統的な食べ物、食べ方、料理方法が主流である。
様々な料理方法がある中で、とても簡単でユニークな料理方がある。
木の葉っぱに食材となるものを包んで、そのまま焚き火の上に置き蒸し焼きにする方法だ。
日本のほう葉焼を連想していただくと良い。ここチュークではパンの木の枯れ葉が使われる。
魚や貝の剥き身、肉、など、好みの食材をパンの木の枯れ葉にうまく包み込み火の中で蒸し焼きにする。
焼きあがった物は、その場で葉っぱを広げて食べる。箸も食器も鍋も水も、何にも要らない究極の野外料理である。パンの木の葉っぱは食べ物を包むのにとても適しており、しかもその辺いたる所に落ちていて、捜す手間もかからない。彼らはいつも普通にパンの木の葉っぱを食べ物の容器として利用している。

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チューク州は、ミクロネシア連邦に属している。
首都のあるポナペ(ポーンペイ)州、ポナペの東側にあるコスラエ州、グアムのすぐ南に位置するヤップ州、そしてこのチューク州の4つの州からなる連邦国家である。ミクロネシア連邦の国旗は、この4州を意味する4つの★(星)をデザインしたもので、とてもシンプルな旗だ。
そして、それぞれの州がその地域の特色を表した独自の旗を持っている。
チュークの州旗は、写真のような円状の星の集まりと、その中心に椰子の木がデザインしてある。
この星の数には、れっきとした理由がある。州の自治体の数である。
旗に記された星の数は38個で、当時独立した時の自治体の数を表わしてある。
現在はその後2つの自治体が増えて40個の自治体からなっている。
一番大きな自治体は主島のモエンで、人口は2万近くある。
小さなものは人口数百人という自治体まで様々である。
モエンを除く殆どの地域が、未だ電気も水道も道路も無い社会である。
そこでは世界のニュースや出来事には全く関係なく、独自の社会の中で悠然と生きている人達がいる。

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チュークの島々はいつも緑一色である。椰子の木やパンの木、マンゴウの木などが生い茂り、南の島は緑の島と言ってもいい程だ。そんな季節感の乏しい南の島にあって、唯一、紅葉・新緑を繰り返す珍しい樹木がある。しかも1年に2回、決った時期に紅葉し、芽吹き、萌えるような新緑を迎える。
現地名をモクモク、日本名はモモタマナ、あるいはシマボウと言う。

その紅葉から落葉、芽吹きから新緑に至る期間はあっという間で、ついこの前紅葉していた、と思っていたら、いつの間にか大きな木全体が新緑に覆われている。2回の落葉・新緑を繰り返すうち、やはり2回、胡桃に似た実をつける。外国では、Sea Almond, Tropical Almond, Country Almond, などと呼ばれ、その名の通りナッツとして食用とされる。チュークの子供達がこの実を石で叩き割って、中身を食べている光景をよく眼にする。子供達の大好きなおやつでもある。
実の中にはタンニンを多く含み、皮革のナメシ剤として用いられ他、薬用、食用、染料、硬材としてなど、広範囲に利用される貴重な樹木でもある。

モモタマナの枝は同じ場所から放射状に広がる性質があり、枝葉は傘のように広がっている。
英語で通称、アンブレーラツリー、と言われる所以である。このように枝葉が広く大きく広がるところから、人が良く集まる公園や学校、教会や民家の周りなどによく植えられている。
モモタマナはムー大陸の伝説資料にも出てくる。その名前をタリサイと言う。
かつてムーの人々は、家を作るとき、必ずタリサイの巨木がある場所を選んだとされる。
その下にテーブルをしつらえ、イスを置き、一家の寛ぎの場所とするためだ。
古代人の憩いの場となり、彼らの集会場ともなったと言われている。
そしてその『タリサイ』の名前は、マリアナ地方の呼び名でもある。



 
     

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最近日本で健康食品や医学品として話題になっている『ノニ』。
日本では『ヤエヤマアオキ』と呼ばれている木で、その実が『ノニ』と呼ばれている。
万病の特効薬として、ジュースやお茶にと大変なブームになっているようだ。
太平洋地域の島々では、古くから民間治療薬として現地人の間で重宝されてきた物である。
ここチューク地方も例外ではなく、このノニの実は、万病の薬として今も根強く使用されている。
チュークの民家では、熟したノニの実を、ビニール袋やガラス瓶などに入れて軒下や木の枝などにぶら下げているのを良く見かける。こうして自然に抽出した果汁を薬として飲用している。
ところがその味と匂いは、とても飲めた物ではなくて、彼らも様々に工夫を凝らして飲んでいる。
『良薬は口に苦し』とは、正にこの『ノニ』を指して言う言葉だろう。

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ブルーラグーンリゾートは、チューク州モエン島の最南端にある。チュークに来る観光客のほとんどがここに滞在する代表的なホテルである。元はコンチネンタル航空の経営で、かつてはコンチネンタルホテルと呼ばれていたが、最近になって地元資本が買収し、ブルーラグーンリゾートと名前が替わった。
実はこのホテルは、35年程前に日本時代の飛行場跡地に建てられた。周りを海と芝生と椰子林に囲まれたコテージ風のとても落ち着いた雰囲気のホテルである。
現在の国際空港も日本時代の飛行場を整備したもので、当時、現在の飛行場を第一基地と呼び、ホテルのあるこの飛行場を第二基地と呼んでいた。そしてこのホテルがある飛行場は、水上基地と言って水上飛行機の基地でもあった。
今もその名残を留めるトーチカや塹壕等がホテルキャンパスや海岸に数多く残されている。

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南の島の伝統的な乗り物に、カヌーがある。
 外洋を航行する大型の帆走カヌー。
近代航行機器を使わず、天体と自然の法則を駆使して何千キロも航海する。現在でもチュークのある離島には10艇ほどが現存しており、彼らの貴重な足となっている。数百キロも離れた離島からこのモエン島にやって来る大型の帆走カヌーを、今でも時々見かける事がある。
 現在ではすでに無くなってしまったが、戦闘カヌーと言われる物もあった。
長い大きなアウトリガーカヌーで、武器と兵隊を積んで高速で滑るように走っていくものだったと言う。
20数年前の空港ターミナルには本物の戦闘カヌーが飾ってあったのを覚えている。
 そして、今でもチューク地方の全ての島々で普通に見かける小型の刳り貫きカヌー。
島の沿岸で漁をしたり、チョットした島民の足として今も盛んに使われている。
子供達の遊び道具としても大変貴重なものである。
ボートでチューク環礁を走り回っていると、この刳り貫きカヌーに乗って釣り糸を垂れている姿や、海での遊びに興じている子供達などをよく見かける。
モーターボートが急激に普及している昨今、チューク地方では今でも昔ながらの刳り貫きカヌーが島人達の生活の中に生きており、海洋民族としての彼らの生活習慣を根強く守っている。  

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セミと言えば、日本の夏を思い出す。
田舎育ちの私にとっては、夏の暑い盛りにミーン、ミーンと頭に響くセミの鳴き声が今でも耳に残っている。セミは四季のある地方だけの独特の昆虫かと思っていたら、ここ南の島でも時々セミの鳴き声を耳にする事がある。ミドリチッチゼミと言って、小さな緑色をしたかわいいセミだ。聞こえてくる泣き声もどことなくか弱くて、よーく注意しなければ聞き取れないほどの泣き声だ。珍しいセミと言う事で、以前、日本のTV局から取材依頼を受けた事もある。日本のセミと違い、電気の明りを好んでよく家の中に入ってくる。現地老人達の話しによると、裸になって拳で自分の胸をドンドンと叩くと、このセミが寄ってくると言う。彼らは子供の頃にそうしてよくこのセミと遊んだそうだ。

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