2006年05月

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昨夜の出来事である。時計はすでに午前2時を廻っていた。
メール処理が一通り終わって、さて、ブログでも書こうか、と思っていると、突然突風が吹き始め、激しいスコールとなった。まだ起きていた妻のカオルが、私の顔を見ながら意味ありげにつぶやいている。『きっとこのスコールでマンゴーが沢山落ちてくるよね!』 私達の家はブルーラグーンリゾートのキャンパス内にあり、しかもその同じキャンパス内には、巨大なマンゴーの木が2本もあるのである。
今、正にそのマンゴー真っ盛りで、ちょっとでも風が吹くと食べごろのマンゴーがボロボロと落ちてくる。今日の夕刻にも、三男のヒロミがスコールの後にすかざず行って、現地の子供達に混じって美味しいマンゴーを何個か拾ってきた。そして今は草木も眠る丑三つ時・・・。これは濡れでに泡か! と虫のいい計算が頭の中を駆け巡る。
スコールが小止みになった隙に、懐中電灯と小さな袋を持って暗闇のキャンパスに勇んで出かけた。目指すマンゴーの木に近づいた時、暗闇から、『スエナガ! 何だ!』と言う声が飛んできた。声のするほうに明かりを向けると、何とすでに2~3人の現地人がマンゴーを両手にいっぱい抱えて笑っている。『オー、マンゴーを拾いに来たけどもう遅かったな!』と言って私も笑って答えた。しかし、私の笑いは心底からの笑いではない。悔しさとバツの悪さいっぱいの笑いだ。
しまった! やっぱり来ていたか! 何ともばつの悪い恰好でスゴスゴと帰りかけた私の後ろ姿に、
『スエナガ! 少し持っていけよ!』という神の声が聞こえた。
妻の待っている顔も浮かび、ここは一つ恥を忍んででも貰って行かねばなるまい。そう思い、
20個位はあろうかと思われるマンゴーの中から、大きなおいしそうな物を2個だけ貰う事にした。
『遠慮せずにもう少し持って行けよ!』というさらに優しい神様の言葉には、お気持ちだけを頂戴して
トボトボと帰って来た次第である。妻に一部始終を報告すると、彼女も大笑いで、大うけの顛末であった。早速この貴重なマンゴーを冷蔵庫に放り込んだ。
そして、今朝の朝食、昨夜の物語を思い出しながらこの甘美な天然マンゴーに舌鼓を打った事である。
そしてまた今夜は、盛んに風雨が吹き荒れている・・・。あああ~~~~!!(ー_ー)!!

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5月は卒業式のシーズンだ。日本と違い、ミクロネシアはアメリカの教育制度を採用しており、5月に卒業を迎える。我が家でも、先週の次男・友(ゆう)の高校卒業に引き続き、昨日は、三男・ヒロミの卒業式を迎えた。あいにく私は、どうしても外せない仕事が入っていた為、一生に一度の2人の卒業式に出てあげることが出来なかった。お客様を海に案内し、海の上で2人の卒業式に思いを馳せていたのである。
卒業式に出席した妻・カオルは、会う人毎に『スエナガはどうした?』『スエナガはどうして来ない?』と言われたという。外国の人達は家族の愛・行事をとても大切にする。ここチュークの人達もその点では他の国の人たちに決して引けを取らない。ヒロミのクラスメートの父親の中には、日本人の感覚だと仕事を休めない人達が何人もいるのを、私は知っている。しかし彼らは全員仕事を休んで子供の卒業式に出席していた。彼らの家族愛は筋金入りである。外地での2人のこれまでの苦労と頑張りを思うとちょっとかわいそうな気もするが、致し方ない。いつも考えさせられる事である。
そんな折も折、ザビエル高校から一通の朗報が舞い込んだ。ヒロミの最終合格通知だ。
卒業、そしてザビエル入学おめでとう!!

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3月18日付けのブログでTV番組を紹介した事がある。
スカイパークTVの旅番組で、チューク出身の元プロ野球選手、ススム・アイザワ氏を巡るチュークの旅である。4月15日の放映に始まり、5月27日で4回目・最終日の放映が予定されている。
ところが、その最終回の放送を前に、彼、ススム・アイザワ氏が亡くなった。
日本での取材を終え、娘さんと一緒に元気な姿でチュークの空港に降り立ったのが、つい2週間ほど前の事であり、つい最近までの元気な彼の姿を知るものにとっては、えっ! と、驚く事である。ポナペの日本大使館からも事実確認を受けたほどである。日本の新聞ニュースでも取り扱われた事でも、彼の知名度の大きさを伺い知る事ができる。チュークには沢山の日系人が居るが、それでも彼のような日本人を代表するような日系人は少ない。ましてや、トラック開拓者・森小弁の子供達も途絶えた今、チュークの日系2世の人達はもう殆ど居なくなってしまった。
かつてチュークには、多くの日本人達が住み、現地の人達に日本人の素晴らしさを伝えてきた。
現地に住む数少ない日本人の1人として、その双肩にかかる重みを感じる。
先人達が築き上げてきた日本人としての財産を、これからも汚すことなく、伝えて行きたいと願う。

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ザビエル高校に2台目のバスが到着した。
先月の1台目に引き続き日本のボランティア団体から贈られた物だ。
ザビエル高校には、ミクロネシア各地の国と地域から生徒達が集まっている。
男生徒は全寮制で、女生徒は島の民家にホームステイして、毎日10~15キロの道のりを通ってくる。
ミクロネシアの中では随一と評される高校であるが、生徒の通学などの交通手段に関しては、アメリカの教育諮問機関からも忠告がなされていた。
これまでは、トラックの荷台に鈴なりの状態で、デコボコの山道を揺られながら通っていた。
時には嵐に会いずぶぬれの状態で・・・、そしてまたあるときには、カンカン照りの中を埃にまみれながら学校に通っていたのである。そんな中、1台目のバスが到着し、早くも学校の行事に生徒の輸送にと大活躍だ。卒業式も終わり、今週で学校の全ての行事が終了する。
9月の新学期からは、日本から贈られたこの2台のバスが生徒の輸送と学校の行事にフル回転することになるだろう。新学期から新しいバスを使える事ななり、生徒達も、学校の関係者もとても喜んでいる。
正に『大車輪の活躍』でる。
日本の関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

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先週の土曜日、チュークでフィッシングダービーが行なわれた。
地元のロータリークラブが主催したもので今年が第一回目である。
多くの現地人のボートに混じって、我が日本人チームも一艇参加した。
とにかく大物を競うゲームで、クジラ・イルカ・サメ以外なら、どんな釣りでもどんな魚でもOKだ。

我が艇は、私がガイドで、日本人アングラーが3名と現地人ボートオペレーター2名の都合6名のチームである。今回参加した日本人チームは、たまたまこの時期にフィッシングに来ていたリピーターの釣り客で、このダービーのあることを知り、大喜びで参加した。朝7時にブルーラグーンリゾート(BLR)の桟橋を出発し、17時桟橋必着となる。日本人以外は殆どのチームが手引きのトローリングである。我がチームはジギングをメーンにキャスティングも交え大物を狙う。現地人のチームにカジキマグロが出れば勝算はないが、キハダマグロだけならこちらにチャンスは充分にある。前日には、130ポンドのイソマグロをゲットしたと言う事もあり、前評判は日本人チーム優勝と誰もが思っている。
優勝者には、1000ドル、準優勝は600ドル、3番が400ドルとそれぞれに現金が用意されている。

朝7時、BLRの桟橋を一斉にスタートした。北東の風、弱風、この条件なら北のパスと決めていた私は、ためらわずノースパスに向う。ジギングでアウトリーフのドロップを攻めるには、絶好のコンディションだからだ。うまくいけばトリヤマの遭遇するチャンスもある。

午前中はさしたる釣果もなく、20ポンドほどのキハダマグロが上がっただけで、あとは小物ばかりである。午後になってからは、かなりの大物が次々とヒットするが、すべて切られてしまう。
気分転換にキャスティングをする。ここでもやはり20ポンドくらいの大きなハタが上がった。
しかし、この程度のサイズでは、日本人の顔ではホテルの桟橋には帰れない。
その後も何度か大物がヒットして船上が盛り上がるが、空しくラインブレイクを繰り返すのみである。
そしてとうとうゲームオーバー!
大物こそ釣れなかったが、朝から夕方まで丸一日釣りを堪能した3人は満足な表情で帰途に向う。

はたして、ホテルの桟橋では我々の釣果に大変な期待がかかっている様子が手に取るようにわかる。
現在までのトップのサイズを聞くと、なんと24ポンドのキハダマグロだと言う。
今日は全体的に低調だったようだ。我々も一度としてトリヤマに遭遇する事もなかった。
これなら、我が艇のキハダマグロやハタにも勝算が出てきた。
計量の結果は、キハダマグロ、ハタ、共に21ポンド、もう一匹のバラクーダーも17ポンドで、残念ながらトップには及ばない。それでも我々のチームは準優勝で、600ドルをゲットした。
現地人主導のお祭りと言う事もあり、優勝は現地人で良かった、と、実は内心ホッとしている。
賞金を受け取る彼らの喜ぶ姿を見るにつけ、準優勝で終わった事に本当に感謝している。

ともかく、楽しい一日であった。賞金は6名全員で山分けと相成った!!(*^。^*)



 

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ゴールデンウィー苦が終わったのもつかの間、またもや大忙しの週末であった。
先週の木曜日以来、今この時まで、自分のブログさえも開けることなく過ぎてしまったのである。
真夜中に仕事を終え、急ぎのメールに目を通す。柱時計とにらめっこをしながらギリギリまでパソコンに向う。毎日が数時間の睡眠で頭も体もフラフラの状態である。

一昨日のフルムーンは、そんな私の慌しさを象徴するかのような満月であった。
午後7時、フィッシングから帰ってきて大急ぎで車を飛ばす。行く先は島の東端にあるザビエル高校だ。
その夜、卒業式のパーティーがあると言うので、そのパーティーに出席するためである。この日は次男坊の高校の卒業式であったが、朝5時から飛び回るあいにくの仕事で、一生に一度の息子の卒業式に出てあげる事が出来なかった。
フロントグラスの向こうには、今上がったばかりの大きな満月が東の水平線を赤く照らしている。
今しがた西の水平線に沈んだ太陽の輝きを彷彿させるかのような明るさである。
満月のドライブを終え、高校に着くと会場のグランドは上がってきたばかりの満月に煌々と照らし出されている。パーティーは高校のテニスコートを会場に行なわれていた。
会場では、この日の為に各島々から集まってきた父兄や、卒業生達の賑やかな歌やダンスが行なわれている。それにあわせこの夜の満月は、雲間に顔を出したり隠れたりと、大忙しの満月である。
息子の学んだ4年間を想い、その間に幾度巡って来たであろう満月をながめては会場の饗宴に時間を忘れた。

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昨日、ザビエル高校のカルチャー・デーが催された。
もう、このブログでもおなじみにになったザビエル高校には、ミクロネシア各地の国と地域から生徒達が集まっている。そこには、その地域独特の伝統と文化があり、そんな祖国の伝統芸能を生達が今、一生懸命に受け継いでいる。昨日のカルチャー・デーは、2年に1回催されるその一般公開の姿である。
午前中、校内の会場には、見事な民芸品の数々が地域ごとに展示され、そのいくつかは即売され、人気の会場は我先に求めようとする人達で溢れている。
午後は、このカルチャー・デーのハイライト、各島々の伝統の踊りが披露された。
男女各10チームに分かれての踊りの競演である。
それぞれの伝統的な民族衣装に身をかためた生徒達が、高校生とは思えない迫力で満員の観衆に応える。
若さゆえ、まだまだ未熟な面もあるが、それでも元気一杯、終始なごやかでハツラツとした演技を見せてくれた。とても爽やかで、見てて気持ちがいい。
今年はこのザビエル高校に、2人の生徒と2人の先生、合計4人の日本人が居る。
この日本人4名による『よさこい・ソーラン』の勇壮な踊りも披露され、日本男児の意気を示してくれた。

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今日お帰りになられた御客様で、ゴールデンウイークのツアーも終了した。
最後の日曜日には、アメリカの客船入港という超特大の飛び入りもあり、夜中過ぎまでてんやわんやであった。そして、昨日最後のツアーは、いかにもチュークらしいツアーで締めくくる事ができた。
午前中はフィッシングで、インリーフの小物釣りから始まり、アウトリーフのトローリングでは大物釣りを体験し、たっぷりと釣りの醍醐味を満喫する事ができた。釣りの後は2つの無人島を巡りチュークならではの無人島ライフを楽しむ。このG・Wの期間中、充分なご案内が出来ないままの“ゴールデンウイー苦”ではあったが、最後の御客様では、思う存分チュークの良さをお楽しみ頂き、案内人の私としてもハッピーエンドで終了する事ができて、めでたしメデタシである。
お陰で今夜はゆっくりと休む事ができそうだ。

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