ブルーラグーンリゾート (3)
ブルーラグーンリゾート (2)
ブルーラグーンリゾート (1)

ミクロネシア随一のリゾートホテル、ブルーラグーンリゾートが1年間に及ぶリノベーションを終了し9月より新装オープンとなった。去年の9月にスタートした全館改装工事は、途中、コロナ騒動に見舞われはしたが、逆に観光客は無く開店休業状態で、工事はことのほかはかどり、この度無事終了した。
工事関係者や政府役人、ホテル従業員の家族なども招待され、大々的に 完工セレモニーが行われた。ただし、ホテルは新装オープンとなったものの、当面はお客様の需要は見込めず厳しいスタートとなっている。先週、州知事はじめ政府の要人たちのとミーティングに出席した。その中で、コロナに関する州知事の発言は、今年いっぱいは観光客の受け入れはともかく自国民の受け入れも難しい、との見解であった。
チュークの観光業者にとっても暫くは辛抱が続きそうだ。





       吉村さんの遺影を流す
       吉村さん遺影

今から76年前の1944年2月17日、18日の両日、日本の連合艦隊基地があったトラック島は、
アメリカ軍による未曽有の大空襲を受けた。トラック環礁を取り囲むアメリカ軍の艦隊は70隻。
航空母艦だけでも11隻。そこから発進される爆撃機や戦闘機は2日間で延べ1,200機を数えた。
加えて、軍艦からの艦砲射撃は軍事基地も民間人も現地人の区別もなく、砲弾が島を破壊した。
環礁内外にいた船舶はことごとく沈められ、その数は環礁内・外で80隻にも及んだ。

戦後から75年が経った今、これらの沈船は、世界中のダイバーが集まる沈船ダイビングのメッカでもある。

吉村朝之(よしむらともゆき)が、トラック島の沈船に出会ったのは、今から50年も前の事だった。
以来、吉村は憑り憑かれたようにトラック島の沈船に潜り始める。そのダイビング本数は実に600本にも及ぶ。トラック島の沈船に潜った観光ダイバーとしては世界NO-1 だ。彼はこれらの沈船がどこで建造され、どのような経緯でトラック島に来たのか、そしてトラック島でどのようにして沈められたのか、今、海底でどのように沈んでいるのか、犠牲者はどうなったのか、、、と1船、1船について詳細に調べ上げて行った。そしてすべての沈船に潜り、その集大成として出来上がったのが、彼の著書「トラック大空襲」である。

彼の死後、彼の遺影の1枚を奥様から託された。長い間私の手元にあった彼の遺影を、今日この大空襲の日に、花束と共にトラックの海に供える事にした。そして今、吉村は、彼が潜った沢山の沈船と共にトラック島の海に居る。



新型コロナウイルスの感染拡大を受け、ミクロネシア連邦政府は非常事態宣言を発令し、日本を含む汚染国からの入国を禁止した。おかげで、チュークに来る予定だった観光客は全てキャンセル!
ホテルのキャンパスには外国人観光客の姿は全く見られない。
チュークで旅行会社を営む私も例外ではなく、2月・3月のツアーは全てキャンセルとなり、
期せずして2か月に及ぶ特別休暇を天から授かった。
かくなる上は南の島のバケーションを心行くまで楽しもう!!


       BLRの客室3  

       ホテル空撮
       BLRのビーチ



     山ちゃんデカバタ
     伊藤さんGT
     伊藤さんアオチビキ
      伊藤さんカスミアジ
     山ちゃんファイト

新年のフィッシング後半戦。今年のお正月は連日の大荒れで、外洋に出て行うスポーツフィッシングとしてはコンディションは最悪だった。それでも前半戦は大物もゲットでき数も稼いで上場の出だしだった。ところが後半戦に入ると、悪条件の中でも次々と大物がヒットするが、次々と逃げられてなかなか揚がらない。バラシの負のスパイラルに陥ってしまった・泣。これはきっと釣り上げた魚が悪かった! バラフエ、バラクーダー、バラハタ、ダツ(脱)と来ればバラすのは当たり前だ・笑
それでも数も揚がり、ソコソコの大物もゲットし、新年の釣りとしては上々の結果ではあった。

佐藤議員と日本人

佐藤正久参議院議員(元・外務副大臣)、在・ミクロネシア連邦日本国大使館・側嶋大使ご夫妻がチュークをご訪問なさった。チューク在住の日本人全員が出席し、夕食会が催された。
佐藤議員のお人柄もあり、終始和やかなムードで食事も進み、話にも花が咲き、楽しい貴重な時間を過ごすことが出来た。佐藤先生ありがとうございました。

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