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今、チューク諸島では綿の木の花が満開だ。
アメリカ南部やインドなどで栽培されている綿花ではない。
熱帯性の常緑高木で、樹木の高さは30m程にもなる巨木だ。
原産地は不明で、世界中の熱帯地方に広く分布している。
1個の綿の花は両手で持ちきれないほどに大きい。
そんな綿の花が巨木全体を覆うように咲き乱れている様子は圧巻だ。
カポックと呼ばれるこの綿は、化学繊維の発明されるずっと以前から様々な材料として重宝されてきた。チュークの人達の間でもクッションや枕、糸、などの原料として昔から使用されている。

廻りの木々を圧する高さから大きな白い綿の花が、まるで巨大なタンポポのように風に舞っている姿はとても爽やかだ。
綿の花の中には沢山の種子が入っている。
貿易風が強いこの時期を選び開花して、綿に託して子孫を遠くまで運ぶのも生きていく為の知恵なのかも知れない。

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1月に入ってから、ずっと釣りのツアーが入っている。
スポーツフィッシングだ。
彼等のターゲットは、50Kgオーバーのイソマグロやキハダマグロ、ローニンアジなどの超大物である。
しかし、こんな超大物は年間でも10本出るか出ないかの数字だ。
通常は5Kg~20Kg位のサイズのものが多い。
超大物ほど、ヒットはしてもなかなかゲットするには至らない。
釣り人仲間が、残念そうに・自慢そうによく言う『大きかった』と言うのはオーバーでもなんでもない。
大きいから逃げるのだ。

現在チュークで行なわれているスポーツフィッシングは、キャスティングやジギングがメーンである。
キャスティングは、20Cm程の大きなルアーを思いっきり遠くまで飛ばし、水面をしぶきを上げながら巻き上げてくる。ジギングは、金属で出来たルアー(これを『ジグ』と言う)を深く沈めて、これもまた高速で一気に水面まで巻き上げてくる。
こうして魚に強烈にアピールして、大物の魚をゲットしようと言うわけだ。
スポーツフィッシングは、このような大物との格闘技だ。

ところが、釣れるのは魚だけではない。
海にはサメ(現地語でポコ)がいる事を忘れてはならない。
特に、このようなフィッシングを行なうアウトリーフには、サメがウヨウヨしているのだ!
魚を丸飲みにして針にかかってしまった100キロ近い大きなサメ。
サメに襲われて、頭だけになってしまった大きなイソマグロやキハダマグロ。
ルアーに直接食いつくサメもいれば、釣れた魚に襲いかかってくるサメもいたりして、
結局はサメとの格闘と言う事になってしまう事が多い。

チュークのスポーツフィッシングは、“poco”との闘いなのだ。
こんなフィッシングのツアーが、今年に入ってずっと続いており、pocosuenagaも、釣りのガイドとして連日海に出ている。

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終戦から数えて60年。今、あるご年配の方が慰霊のツアーに来てらっしゃいます。
60年前軍艦に乗っていた兄がトラック環礁のそばの海域で戦死したのです。
60年間思い続けてきた兄の姿と、兄が住んでいたトラック島を訪ねてきたのでした。
当時、トラック環礁のデュブロン島(日本名・夏島)には、日本の連合艦隊の根拠地が置かれ
多くの日本人が住んでいました。基地の島には街が開け、沢山の娯楽施設があったのです。
今はジャングルと化したそんな遺跡・戦跡を巡り、兄上のゆかりの地をご案内しました。
兄が上陸した桟橋、兄が歩いた道、兄が遊んだと思われる料理屋の跡、海軍の司令部や、軍艦の停泊地、等など・・・。
兄との時間を共有できた想いがする!
まるで今、兄と一緒に歩いているようだ!
兄の想いを抱いて、ふるさとの日本に帰りたい!

無人島での昼食、白いサンゴを手にし、そっとバッグに仕舞われておりました。
帰りのボートの中、艦隊錨地洋上での海上慰霊、兄が大好きだった故郷のお酒を海に注ぎ、
いつまでもいつまでも海に祈っておられました。

トラック島をご存知だった方達にとって、チュークって何・・・?
と思われる方が多いのではないでしょうか。
現地語では、トラックの事をチュークと言います。
『チューク』とは現地語で『山』を意味します。
そう、チュークは山なんです。トラック環礁は、巨大な2重式火山から成っています。

地理上の発見と言われた大航海の時代、ミクロネシアの島々も次々とヨーロッパ人達によって発見され、紹介されていきました。チューク諸島もその頃、沢山の航海者達によって調査・報告されていきました。その時にチュークと言う音にヨーロッパのアルファベット、T・R・U・Kを当てたのが、TRUKの始まりです。当時の航海者達の報告書や航海日誌等を読むと、殆どが『TRUK』という名前で紹介されています。
『チューク』は現地の呼び方、『トラック』は西欧的な呼び方、と理解してください。
最近、チュークという呼び方が普及しているのには訳があります。
チューク地方は、20年ほど前に、ミクロネシア連邦の一員として独立を果たしました。
その独立を契機に、従来の呼び名『チューク』を公式名としようと言う事になりました。
そこで最近、チュークと言う呼び方を多く聞くようになってきた訳です。
パラオがベラウ、ポナペをポーンペイ、と呼ぶのも全く同じ理由からです。
どちらも正しい呼び方です。

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間もなく誕生する夢の無人島、キミオ・オローラ島。
その名前の由来についてご説明いたしましょう。
キミオとは、ブルラグーンダイブショップの創設者、故・MR.キミオ・アイセク氏のファーストネームです。彼は日本時代に日本海軍港務部で働きました。その経験を活かし、後のアメリカ時代になって、ネィビーで働きます。その時にアメリカ海軍の下で、トラック環礁内に沈んでいる日本の沈船の調査を行います。その経験と知識を下にして、トラック島で最初のダイビングショップ『ブルーラグーンダイブショップ』を創設しました。以後、40年間、アメリカ・ヨーロッパを始めとして、世界中にトラックの沈船ダイビングを紹介して行きました。今では、世界のダイビングショップの中でも常にトップ10に名を連ねる程です。晩年、彼は、トラックコンチネンタルを買収し、そのオーナーにもなりました。そして、2001年の1月、その輝かしい生涯を遂げたのです。
彼の功績をたたえ、ブルーラグーンダイブショップは、彼の持ち島であった無人島に、彼のファーストネームを冠する事にしたのです。

そしてもう1つの名前、オローラとは、宝貝の中の『南洋宝貝』の別称です。
南洋宝貝は、英語名を『ゴールデンカウリー』と言います。
カウリーとは、英語で宝貝の事です。金の宝貝、と言うわけです。
その名の通り、金色に輝く見事な宝貝です。
太平洋の赤道周辺にみに生息する世界でも非常に珍しい、とても美しい、宝貝です。
かつて、南太平洋域の人々の間では、酋長がもつべき貝としてとても重宝されていました。
そして現在でも、貝収集家の間では、大変高価な値段で取引されています。

キミオ・オローラ島は、チュークでは最も権威ある2つの名前を頂いた、高貴な島なのです。
こんな素敵な名前のキミオ・オローラ島、夢の無人島を独り占めできるなんて、正に夢のようですね。
チュークにいらしたら是非、キミオ・オローラ島にお立ち寄りください。
心が洗われますよ!

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